2015年5月22日金曜日

電車にて

正面に座ったのは面構えだけで不愉快な男だったというのに、その男はまるでそれが恥ずべき行為ではないかのように指を鼻に突っ込みはじめた。そして親指と人差し指で何かを転がし始めた。凝視すれば、おそらく私が想像した通りのものが確認できただろうが、このクソ野郎のそれの色とか見てしまったら、口に含んだばかりのコーヒーどころか、胃の中のものまで吐き出しそうな予感がして、とっさに視線をそらした。

2015年3月12日木曜日

コーヒーショップ

金曜日の夜、駅近くのコーヒーショップは満席のため待つ人で列ができていた。

先頭でならぶ女の視線が、ひときわ高くそびえ立つ一つのテーブルへと突き刺さっていた。まるで天井の雨漏かのように憎らしく睨みつけてみたところで、見えるのはテーブルの裏側と椅子の裏側と、そこに座る男の鼻の穴だけだった。

いまや、頭が天井につきそうなほどに刻々と上昇したテーブルと椅子も、この男にとってはプレッシャーにはならなかったようで、むしろここまで高くなると、席を待つ客達から放たれる親の仇のような視線をさえぎるのを手伝っていた。

男は財布を手に取ると椅子から立ち上がり、慎重にポールダンスのそれと見間違うほどの高さにまでなった一本の椅子の支柱に足を掛けた。
支柱の凹凸を使ってゆっくりと降りると、男はトイレに入って行った。

店内奥からテーブルが上昇することを知らせるブザー音が鳴った。


「えっはやくなーい」

「30分たってなくなーい?」

二人の女子高生はそう言うと上昇にそなえ、文房具と教科書で散らかったテーブルの上を少し整えて会話を止め、お互い目を合わせていた。
椅子とテーブルが同時に動き始めると女子高生たちは、中学時代の友達と街で偶然会った時に発するのと同じ種の奇声を上げた。
両隣よりもテーブル半分ほど高くなると二人はわーキャーと騒ぎ、楽しんでいた。

滞在時間40分につきテーブルが徐々に上昇するシステムは、満席時には誰が一番そこにふさわしくないかを、誰の目から見ても明らかにした。

一番高いテーブルのふもとに男が戻ってきた。
こんなことにはもうすっかり慣れたかのように両手でポールを掴むとよじ登りはじめた。
周りの空気を読まずに無邪気にポールにしがみつく男の哀れな尻はしばらくの間、席を確保できずに並んでいる客たちに向けられていた。

男は背を丸め顔を前に突出し着席した。
その後頭部の髪の毛は天井に押しつぶされ、顎はノートパソコンのキーボードを押さんばかりだった。
そんな状態にもかかわらず男ははそこに居続けはじめた。
もはやその状態に男の自主性はなく、テーブルとイスに浸食されているようにしか見えなかったが、男は再び久しぶりにカップに口をつけた。
コーヒーは残っていた。
彼はまだこのコーヒショップの立派な客だった。



2014年10月22日水曜日


川沿いを老人がラジオを流しながら歩いていた。
なぜイヤホンをしないのか私は知っている。
昔の人の耳の穴は今の人の耳の穴とはまったく形が違うからだ。
ラジオの音をばらまきながら歩くおじいさん世代の耳は卍のような形をしている。
それならばヘッドホンをすればいいとおもうが、そうもいかない。
ラジオの音をばらまきながら歩くおじいさん世代の頭部は豆腐(絹)のようにやわらかいため、ヘッドホンに挟まれたら潰れてしまうのだ。

2014年8月7日木曜日

歓声

最後の曲の演奏が終わりに向かって失速し穏やかになると

「フーッ」

というライブ会場ではお馴染みの、人間の口から発せられる限りの高音が聞こえた。
私はそのような音が聞こえても、当然おかしくはないと思ってはいるのだが、その音の発生場所が近いときには音の主を特定しようと辺りを見回す。
それは単にこの人間からでてきたのか、という確認だけではなく、奇声を上げるほどの熱狂にある人間を観察しようとしてのことだ。
少し羨ましい気持ちもあるのかもしれない。
私自身は、どんなにそのステージのパフォーマンスに感動したとしても、あのような奇声がうっかり出てしまうこともないし、奇声を上げたいという欲求も湧いてこないから、そのような人間が不思議に思えた。

私の後方右側に音の主があった。
振り返るとすぐに、座っている2人組の男だということがわかった。

一人がもう一人に、「フー」って叫ぶと、この素晴らしい空間に、自分の「フー」が響くぞ、オモシロイだろ、と教え、すぐにまた「フー」と叫ぶと、二人はニヤニヤとしていた。

こんなことのために、我々が共同で購入した「音楽」は邪魔されたのだ。
私は非常に不愉快な気持ちになった。

演奏が完全に終わりアーティストがはけると、ステージの下で仁王立ちで観客を監視していた体格のいい黒人のセキュリティがこっちに向かってきた。
私は、後方にあるドネルケバブの屋台にでも向かっているのだろうと思ったのだが、セキュリティは私のすぐ後ろのあの2人組の男に英語で話しかけていた。
そもそもが2人組はずっとニヤニヤしていたが、まず、セキュリティがきたことに対してのニヤニヤ、それから英語がわからないことに対してのニヤニヤ、そして一連のニヤニヤにほんのりビターな味わいを加えた新たなニヤニヤを見せたのは、セキュリティが真剣な形相でほぼ連行に近い形で二人を連れ出したからだった。

二人はステージの上に上げられた。
私は、あのセキュリティは二人がふざけて奇声を上げていたことを見抜いたのだと、彼らへの断罪の期待が膨らんでいた。

ステージのスクリーンに、ついさっきのライブ映像が流れた。
カメラは観客を映していた。
そこには、ライブの中に身を置き、感極まり声を出す人や、一心不乱に踊る人が映っていたのだが、そのどれもが一目見たら、決してふざけてなんかいないことがわかった。

そしてカメラはついにあの二人を映した。
これまで映ってきたどの人にもない、異質なニヤニヤした表情で「フー」と叫んだところで映像は終わった。
映像の構成はわかりやすかったが、多くの人にとっては、単なる「フー」コレクションにしか見えなかったかもしれないし、実際のところそうだったのかもしれない。


セキュリティはマイクスタンドを二人の真ん中に置いた。
片方がセキュリティが何を求めてるのかわからず、ニヤニヤして顔芸だけでセキュリティにコミュニケーションをはかろうとしたが、セキュリティの真剣な表情から逃げ出すかのように、となりの友達のほうを見た。

そしてそのお友達はノリが良かった。
顔をひょいとマイクに近づけると、

「フー」

と叫んだ。


何かわからないことに対して、テンションだけで乗り切ろうという彼の性分がそうさせたのだろう。
もっともそれはあたりの固まった空気を何とかしたいという彼のサービス精神だったりもしたのだろう。
そもそもが彼は自分たちが公開裁判の場に引きずり出されたという認識などなく、むしろキングオブ「フー」に選ばれたとでも思ったのかもしれない。

一般男性の単独「フー」は響くこともなく、あたりに静かな時間が流れた。

ちょっと刑が重すぎるのではないだろうかというくらい、静寂は長く感じた。

二人がステージ上で恥に固められ、そろそろステージ下の我々が、目の前の出来事について隣の友人らと「あれはなんなんだ?」と話し始めそうな時間が経ったところで、セキュリティは二人にステージから降りるようにうながした。

SE(Sound Effect)にビートルズのサージェントペパーズロンリーハーツクラブバンドが流れると、フェスティバルは再開した。





2014年1月8日水曜日

それのデジタル知らないっす

「僕、アナログな人間なんで、玉ねぎ切るとき、涙でないように、水泳用のゴーグルつけて切るんですよ。」

「いや、それのデジタル知らないっす」

2013年11月29日金曜日

天狗

夕方、川に着いた私はさっそく日が暮れる前に夜の焚き火にむけて燃えそうな木を探した。
川原のゴツゴツした足下にくわえて日没とともにどんどん暗くなる視界で「木」を探すことは、ある種の狩りのような難易度があった。
 同じ所を行ったり来たりしては、去っていく団体の跡地に目を光らせた。そこには燃えかけの木、余った薪がある可能性があった。
しかしながら、落ちているものに必死に食らいつくというのは、
一見、ゴミ拾いにも見えなくもないが、やはり、一度つかんだりした木を「これは燃えそうにない」と元に戻す様はホームレス的だった。

そしてありとあらゆる燃えそうな木クズは集められた。
新聞紙に火をつけ、小さな炭になった木から少しずつ燃やした。
落ちていた段ボールであおげば炭はオレンジ色になり、数十秒後、何かのタイミングで魔法をかけたように一気に炎が上がる。
焚き火というのはとにかく空気を送ることが重要だ。
それからどんどん木を燃やした。

「ああ!」

背後から声が聞こえた。
老人のような枯れたガラガラな声だった。
暗闇を振り返ると、私より少し大きいシルエットがあった。

「はい?」

「わしの!」

シルエットの顔がたき火に照らされた。
鼻が異様に長かった。

「何がですか?」

「わしの木」

鼻の長いおじいさんは火を指差して言った。
いくら拾ってきた木とはいえ、誰かの木を拾ったつもりはなかった。

炎を見つめる鼻の長い老人の顔は真っ赤だった。
怒ってるからではなく、塗ったような赤色をしていた。
私はようやくそいつが天狗だと気がついた。

天狗は炎の中に何かを発見すると、慌てて燃える木々の中の一本を掴み取った。
それは落ちてる木の中では一番長く、たしかに私自身、拾ったときにうれしかった木だった。
木の棒は真ん中あたりが黒く焦げ、そのふちがオレンジ色に光り煙りを上げていた。

「あ、これなら、なんとか、、」

と言いながら天狗は木の棒を四方あらゆるところから入念に確認していた。
私はよくわからないけどその焦げてしまった木の棒が大丈夫だといいなと思った。おそらく責任は取れない。

「ああ、やっぱダメだ!」

天狗は言った。
天狗はその場から動こうともしなかった。
私はこいつの顔を見てて、ビーフジャーキーを持ってきていたことに気がついた。
カバンからビーフジャーキーを出し、それを天狗に渡した。
天狗はそれを鼻にこすってその匂いを楽しんでいた。
しかし、ビーフジャーキーのパッケージに自分と同じような顔を見た天狗は慌ててビーフジャーキーを投げ捨てると、逃げるようにして暗闇へと走っていった。
天狗の肉が干されたものだと思ったのだろう。
私は助かった。

2013年11月22日金曜日

一週間はあっという間。



会えば誰もが一週間が早いと言っていた。
一人くらい「長い」という人がいてもいいものだが、誰もが「早い」と言っていた。
もしもそれが気のせいではなく、事実として一週間が本当に早かったとしたら、それはどうやってわかるのだろうか。
もしかしたら「1分」が早くなっていたりしないだろうかと考えた。
そして、それを確認するためにはすべての時計を信用することはできない。
これは何かしらの陰謀なのだ。
そこで私は学生時代の同級生「刻谷時文」のことを思い出した。
時文はかつてストップウォッチを10秒で止めるゲームで確実に10秒をたたき出していた。

「もしもし、おれやけど」

時文と話すときは関西弁だった。

「おお、久しぶり、久しぶりちゃうわこないだ会うたな」

時文とはつい先週偶然にもお茶の水のCD屋で遭遇していた。

「そうやで、あれ一週間前やで」

「一週間前やな」

「どう思う?」

「何がや?」

「一週間前という事について」

「何を言うとんのや」

「あれは一週間前だったという感覚は確かなものか、という事や」

「わけわからんわ、どないしてん?」

「最近、一週間が早いと思うねん」

「そらそういうときもあるがな」

「いやいや、そういう事じゃなくて、マジで」

「マジでってどういうことやねん、そら普通に24時間が回っとるやろ」

「そこが怪しいと思うねん」

「怪しいもくそもあるかいな」

「そいでな、おまえに一分を計ってほしいねん」

「何の意味があるんや、時計みたらしまいの話しや」

「あかんねん、陰謀で全部信用ならねんて」

「なんでやねん、もう切るで、あほらしい」

「たのむわ」

「めんどうやわー、一分て、60秒やろ?絶対ズレるわ!」

「じゃあ、いまからな」

「ちょっとまてや、ほな、そのわしの計った1 分が正しいかどうかはどうやって判断するんや」

「それは、もうそれがそれなんやわ、それが正しいんやわ」

「ほんまかいな、知らんで」

「はい、よーいスタート」

私は壁に掛かった時計の秒針が12を指したところから合図をした。

「ストップ」

時文が言った。

「もう?」

私は驚いた。
時計の針はまだ30秒を示していたからだ。

「あかんか?」

「いや、ええ、ありがとな、またな!」

私は時文に時計が示した時間を言わなかった。
きっと30秒早い事を言えば時文は自分が間違ってると思うだろう。
時文にはその能力に自信を持っていてほしかった。
私が信頼できる時計の結果は一分が30秒だった。
つまり、実際は倍の時間が経っていたというのに、時計の上では半分しかたっていないようにすりこまれていたのだ。これでは体感速度だけが早く感じるわけだ。

私が一週間だっと思っていた日々は実は「二週間」だったのだ。

「二週間は長い」

これが私の近頃の時間経過の感想だ。
「一週間」については何も思わない。