2016年3月17日木曜日

茶碗







<省略>






「それ、君が、犬のキャラクターだから"ちゃわん"って言ったの?」

「なんだよ!犬のキャラクターって!だとしたら、ちゃわんわん、って言うわ!」

マグカップを手に取り、中身を覗き込むと、そこには犬のキャラクターの顔があった。

「あっ、ちゃわんわん、だわん」

私は言い直した。

たしかに

「たしかに。」

私はこの便利な言葉を使って全く興味のない話に、さぞよく聞き、考えたかのような返事をした。

「どこらへんが、たしかにだった?」

と聞かれたら本当に困るが、相手方は予想外な事を聞いてきた。

「えっ?たしかに、って、お前がカニのキャラクターだから、それでたしカニ、って言ったの?」

「カニのキャラクターじゃねえよ」

「だとしたら、たしかにカニになるからね」

「語尾のカニを引いて、たし、だけの意味はなんだと思ってんだよ」

以上のツッコミのうちどれを先に言うべきか難しい。
それで何も言い返せず、ふと横の窓ガラスを見ると、そこに映るはずの私の顔はカニのキャラクターのようだったのだ。

「あっごめん、たしかにカニ、カニ」






2015年9月24日木曜日

一服


宗一郎は片手でポケットを探りつつ、もう片方の手で喫煙ルームの扉を押した。
室内の田中と田中の部下がちょうどタバコを取り出すところだった。
宗一郎は顔をうつむきながらできる限り離れた位置に身を置いた。
依然としてポケットを探っている宗一郎を見かねた田中が宗一郎にタバコを差し出した。
田中は宗一郎がこのオフィスのビルの清掃をしているのを何度か見たことがあった。
しかし宗一郎は田中の方を見る事もなく、苦笑いをして申し訳なさそうに手をふり断った。
そしてポケットの中に掴んだ感触を取り出し、ニヤリと前歯無き洞穴を見せながらそれを田中に見せた。
宗一郎の親指と人差し指の間にあったのはタバコではなく、袋に入ったお菓子だった。
田中はそのパッケージを見て自分も食べたことのあるクッキーだとすぐにわかったが、この場面での突然の登場に真顔で見つめるしかできなかった。

目線はビスケットに奪われたままの二人がタバコに火をつけると、さっそく宗一郎もビスケットの包装を破ろうと両指をかけた。
首は少し斜め下を向き、片手でビスケットを隠し、ちょうど風をよけるようにしてタバコに火を着けるようなポーズで開いた包装に口を近づけると、ビスケット端を口にはさみ、タバコのようにくわえたまま険しい表情で正面を向き遠くを眺めた。
そして口元に咀嚼が確認できないほどの神妙なペースでビスケットを食べはじめた。
ときおり、スモーカーがそうするように指に挟んだビスケットをタバコの灰を落とすようにトントンとすると、黄色いビスケットのクズは暗い吸い殻入れの奥で光って見えた。

田中は宗一郎の「タバコみたいなビスケットの食べ方」という奇行が禁煙の方法に違いないと思った。

田中のアメスピも半分程の長さになり、田中の部下のホープは二本目に突入しようという頃、ようやく宗一郎の丸いクッキーは半円になっていた。

不機嫌そうな顔でビスケットをくわえた宗一郎の顔は近頃のクリントイーストウッドにとてもよく似ていた。

宗一郎はくわえていた残り三分の一程のビスケットをステンレスの火消しに強くこすりつけ、そのすべてを削り落とすと、心機一転、残りの勤務をがんばることを誓ったかのように清々しく険しい顔で喫煙ルームを出て行ったのだった。

2015年5月22日金曜日

電車にて

正面に座ったのは面構えだけで不愉快な男だったというのに、その男はまるでそれが恥ずべき行為ではないかのように指を鼻に突っ込みはじめた。そして親指と人差し指で何かを転がし始めた。凝視すれば、おそらく私が想像した通りのものが確認できただろうが、このクソ野郎のそれの色とか見てしまったら、口に含んだばかりのコーヒーどころか、胃の中のものまで吐き出しそうな予感がして、とっさに視線をそらした。

2015年3月12日木曜日

コーヒーショップ

金曜日の夜、駅近くのコーヒーショップは満席のため待つ人で列ができていた。

先頭でならぶ女の視線が、ひときわ高くそびえ立つ一つのテーブルへと突き刺さっていた。まるで天井の雨漏かのように憎らしく睨みつけてみたところで、見えるのはテーブルの裏側と椅子の裏側と、そこに座る男の鼻の穴だけだった。

いまや、頭が天井につきそうなほどに刻々と上昇したテーブルと椅子も、この男にとってはプレッシャーにはならなかったようで、むしろここまで高くなると、席を待つ客達から放たれる親の仇のような視線をさえぎるのを手伝っていた。

男は財布を手に取ると椅子から立ち上がり、慎重にポールダンスのそれと見間違うほどの高さにまでなった一本の椅子の支柱に足を掛けた。
支柱の凹凸を使ってゆっくりと降りると、男はトイレに入って行った。

店内奥からテーブルが上昇することを知らせるブザー音が鳴った。


「えっはやくなーい」

「30分たってなくなーい?」

二人の女子高生はそう言うと上昇にそなえ、文房具と教科書で散らかったテーブルの上を少し整えて会話を止め、お互い目を合わせていた。
椅子とテーブルが同時に動き始めると女子高生たちは、中学時代の友達と街で偶然会った時に発するのと同じ種の奇声を上げた。
両隣よりもテーブル半分ほど高くなると二人はわーキャーと騒ぎ、楽しんでいた。

滞在時間40分につきテーブルが徐々に上昇するシステムは、満席時には誰が一番そこにふさわしくないかを、誰の目から見ても明らかにした。

一番高いテーブルのふもとに男が戻ってきた。
こんなことにはもうすっかり慣れたかのように両手でポールを掴むとよじ登りはじめた。
周りの空気を読まずに無邪気にポールにしがみつく男の哀れな尻はしばらくの間、席を確保できずに並んでいる客たちに向けられていた。

男は背を丸め顔を前に突出し着席した。
その後頭部の髪の毛は天井に押しつぶされ、顎はノートパソコンのキーボードを押さんばかりだった。
そんな状態にもかかわらず男ははそこに居続けはじめた。
もはやその状態に男の自主性はなく、テーブルとイスに浸食されているようにしか見えなかったが、男は再び久しぶりにカップに口をつけた。
コーヒーは残っていた。
彼はまだこのコーヒショップの立派な客だった。



2014年10月22日水曜日


川沿いを老人がラジオを流しながら歩いていた。
なぜイヤホンをしないのか私は知っている。
昔の人の耳の穴は今の人の耳の穴とはまったく形が違うからだ。
ラジオの音をばらまきながら歩くおじいさん世代の耳は卍のような形をしている。
それならばヘッドホンをすればいいとおもうが、そうもいかない。
ラジオの音をばらまきながら歩くおじいさん世代の頭部は豆腐(絹)のようにやわらかいため、ヘッドホンに挟まれたら潰れてしまうのだ。

2014年8月7日木曜日

歓声

最後の曲の演奏が終わりに向かって失速し穏やかになると

「フーッ」

というライブ会場ではお馴染みの、人間の口から発せられる限りの高音が聞こえた。
私はそのような音が聞こえても、当然おかしくはないと思ってはいるのだが、その音の発生場所が近いときには音の主を特定しようと辺りを見回す。
それは単にこの人間からでてきたのか、という確認だけではなく、奇声を上げるほどの熱狂にある人間を観察しようとしてのことだ。
少し羨ましい気持ちもあるのかもしれない。
私自身は、どんなにそのステージのパフォーマンスに感動したとしても、あのような奇声がうっかり出てしまうこともないし、奇声を上げたいという欲求も湧いてこないから、そのような人間が不思議に思えた。

私の後方右側に音の主があった。
振り返るとすぐに、座っている2人組の男だということがわかった。

一人がもう一人に、「フー」って叫ぶと、この素晴らしい空間に、自分の「フー」が響くぞ、オモシロイだろ、と教え、すぐにまた「フー」と叫ぶと、二人はニヤニヤとしていた。

こんなことのために、我々が共同で購入した「音楽」は邪魔されたのだ。
私は非常に不愉快な気持ちになった。

演奏が完全に終わりアーティストがはけると、ステージの下で仁王立ちで観客を監視していた体格のいい黒人のセキュリティがこっちに向かってきた。
私は、後方にあるドネルケバブの屋台にでも向かっているのだろうと思ったのだが、セキュリティは私のすぐ後ろのあの2人組の男に英語で話しかけていた。
そもそもが2人組はずっとニヤニヤしていたが、まず、セキュリティがきたことに対してのニヤニヤ、それから英語がわからないことに対してのニヤニヤ、そして一連のニヤニヤにほんのりビターな味わいを加えた新たなニヤニヤを見せたのは、セキュリティが真剣な形相でほぼ連行に近い形で二人を連れ出したからだった。

二人はステージの上に上げられた。
私は、あのセキュリティは二人がふざけて奇声を上げていたことを見抜いたのだと、彼らへの断罪の期待が膨らんでいた。

ステージのスクリーンに、ついさっきのライブ映像が流れた。
カメラは観客を映していた。
そこには、ライブの中に身を置き、感極まり声を出す人や、一心不乱に踊る人が映っていたのだが、そのどれもが一目見たら、決してふざけてなんかいないことがわかった。

そしてカメラはついにあの二人を映した。
これまで映ってきたどの人にもない、異質なニヤニヤした表情で「フー」と叫んだところで映像は終わった。
映像の構成はわかりやすかったが、多くの人にとっては、単なる「フー」コレクションにしか見えなかったかもしれないし、実際のところそうだったのかもしれない。


セキュリティはマイクスタンドを二人の真ん中に置いた。
片方がセキュリティが何を求めてるのかわからず、ニヤニヤして顔芸だけでセキュリティにコミュニケーションをはかろうとしたが、セキュリティの真剣な表情から逃げ出すかのように、となりの友達のほうを見た。

そしてそのお友達はノリが良かった。
顔をひょいとマイクに近づけると、

「フー」

と叫んだ。


何かわからないことに対して、テンションだけで乗り切ろうという彼の性分がそうさせたのだろう。
もっともそれはあたりの固まった空気を何とかしたいという彼のサービス精神だったりもしたのだろう。
そもそもが彼は自分たちが公開裁判の場に引きずり出されたという認識などなく、むしろキングオブ「フー」に選ばれたとでも思ったのかもしれない。

一般男性の単独「フー」は響くこともなく、あたりに静かな時間が流れた。

ちょっと刑が重すぎるのではないだろうかというくらい、静寂は長く感じた。

二人がステージ上で恥に固められ、そろそろステージ下の我々が、目の前の出来事について隣の友人らと「あれはなんなんだ?」と話し始めそうな時間が経ったところで、セキュリティは二人にステージから降りるようにうながした。

SE(Sound Effect)にビートルズのサージェントペパーズロンリーハーツクラブバンドが流れると、フェスティバルは再開した。