2013年11月7日木曜日

クローン運転士

電車が遅れていたが、遅延の表示もアナウンスもなかった。
「電車がまいります」とだけアナウンスがあり電車は10分遅れでやってきた。
いつから遅れた電車の怒りの矛先が直接その電車へと向けらるようになったのかはわからないが、相変わらずホームで待っていた人々は電車が見えはじめると「おせえよ」「遅れてるとか言えや」と罵声を浴びせはじめた。
私は休日にちょっと買い物に行くだけだったからそこまでイライラする必要はなかった。

「なぜ自分ばかりが責められないといけないのか」
電車は電車なりに理不尽に感じているだろう。

かつても遅延の怒りの矛先は運転士へと向けられていたが、それは感情のある生身の人間・運転士だった。
次第に人々の非難に耐えかねた運転士が次々と退職するという事態におちいり、運転士がいなくなっていった。
それどころか多くの退職後の運転士はPTSD(心的外傷後ストレス障害)と診断された。
それから、電車は自動運転化となり運転士の必要なかったのだが、人間不在になったその遅延電車に予定通りに事が進まなくなった怒れる人々が傘でキズをつける、空き缶を投げつけるなどの横暴が目立つようになった。

そこで2062年、作り物の運転士を電車に搭乗させることとなった。
無感情でもその電車に人間が乗っているほうがいいということでクローン技術から生まれた運転士がいわばクレーム処理を請け負ったわけである。
たとえ悪びれる様子も無い無表情なクローン運転士でも、不思議と人々は手を出す代わりに罵声を浴びせる程度にとどまり、このクローン運転士は功を奏したのだった。


「ッゲン」
私の目の前で電車の扉が開こうかというとき、何かがぶつかる大きな音がした。
となりの扉の窓ガラスに見事なひびが入っていた。
中年のスーツを着た男が手に持った傘は見た事のないような曲がりかたをしていた。それでぶっ叩いたに違いなかった。
異常な音に気がついたのかクローン運転士が運転席から出て来ると、ゆっくりと車体を点検してまわりだした。
こんなときクローン運転士がどんな反応をするのか見当もつかなかった。
ひびの入った扉のガラスを確認したとたんにさっきまで魂のぬけていたような目に力が入り、殺気だった顔で辺りの人間を見渡した。
私はその顔をどこかで見たことがあると思った。
結果的に生身の人間最後の運転士となり、その後やはりPTSDによる奇行の末自殺した、10回言えば「ノラジョーンズ」に聞こえるあの野良順を思い出した。
10年前、私が大学の講義に向かう朝、30分遅れの電車に私も例外ではなかったが人々は怒り狂い何かのデモのようになっていた。
しかしそんな我々を迎え撃つかのように運転席の窓から運転士が身を乗り出し電車はやってきた。
右の黒目は右下へ、左の黒目は左上へ、口は半笑いで、左足を窓枠にかけ、右手の中指を立てるという常軌を逸したふるまいで、左手に持ったペットボトルの水を口にふくむとホームの人間たちに噴きかけ、「ガタガタうるせえぞコラ!」とぶちまけた、あの野良順と同じ狂気がこのクローン運転士にみちていた。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。